2009年6月1日月曜日

芍薬の主成分の構造を決めたのは~

本当に運がよくて、たまたまある元薬学部長のブログを発見し、次の内容の文書を拝読することができました。なんと芍薬らしい女性が芍薬の主成分の構造を解明しました~素敵!!ついつい彼女のことが知りたくなりました。是非、この作品を皆さんに紹介したいと思って、引用させていただきました。
芍薬の君・ペオニフロイラインhttp://www2.incl.ne.jp/~horikosi/No165.htm 
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。これは女性を形容した喩えです。芍薬も牡丹も英語で peony といいます。 blush like a peony と言えば「顔を赤らめる」の意味で、芍薬も牡丹も赤いのが普通のようですが、漢方で根を使う芍薬は花が白かったように覚えています。今回は芍薬にまつわる少々砕けたお話をさせて頂きます。 時は今から四十数年前、昭和二十年代の後半、筆者が大学生になって間もない頃。大学の校内に寮があって、そこから講義棟に向かうある朝のこと。当時は大学の校内を近道として使う近隣の生徒をよく見かけました。ある朝、同室の友人と講義棟に向かう途中、中学生と思しき日本人形のような可愛らしい女性とすれ違いました。戦後間もなくのことで男女平等とは言え、大学に入学してくる女性の数は極めて少なく一学年二千人のなかで、八十人程だった時代です。その頃、田舎者の寮生達の使う日常語に「シャンなメッチェン」という言葉がありました。友人が言いました。「あれー。あの子!大学のバッチつけてる!」これが芍薬の君との最初の出会いでした。 それから、一年半が過ぎ、学部・学科別の編成があり、定員三十五人の薬学科クラスが出来て、全員同じ講義を聴くことになりました。その中に女性が五人おりました。当時としては驚異的な高比率です。そして、その中に芍薬の君がいたのです。理系の女性が選ぶ進学先は薬学が当時から魅了ある分野だったかも知れません。 昭和三十年代初めまでは、大学を出ても就職先の少ない時代で、自衛隊の薬剤官になった先輩もおりました。先生方からは「健康な者は企業へ行け」。「大学院へ行ったって高校の教師しか口はないぞ」と脅かされたものです。芍薬の君は先輩のアドバイスに迷うことなく大学院に進み、指導教官の先生からお嫁に行けと言われても黙々と、悪臭漂う研究室に閉じこもって実験していたように思います。やがて芍薬の君も姓が変わりました。 それから数十年が過ぎて、ごく最近、筆者は和漢研の先生から、芍薬の主成分ペオニフロリンは彼女が構造を決めたと聞かされました。現在なら植物成分の構造決定など、二次元のNMRを使えば難なくできるものの、当時はIR(赤外)すら中央の分析センターに一台がやっとで、NMRに至っては原始的な装置が国内の何処かに初めてお目見えした頃です。測定器といえば可視に紫外の分光光度計、融点・元素分析と旋光度くらいで、確認のための全合成をして初めて構造が認められた時代です。 数年前から始まったクラス会で、彼女にそのことを伺ったところ「そーよ」との返事。その瞬間に筆者の脳裏に閃いたのは、ペオニフロリンは peony と fraulein から来たものと合点致しました。しかし、スペルは芍薬の Peonia lactiflora Pallas に由来する Peoniflorin で、残念ながら「 l 」と「 r」とが違っていて、Peonyfrolin ではありませんでした。筆者は、芍薬の成分を記載する機会があったら、彼翌フ偉業を称える意味で、あえてLとRを間違えることにしております!」

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